鶴岡八幡宮 日記の続き
鶴岡八幡宮のその他の日記はこちらです。
⇒鶴岡八幡宮の日記
大きな大きな鶴岡八幡宮、
鎌倉駅から若宮大路へ出て、そこから歩いて境内前の鳥居。
源氏池と鎌倉文華館の間を歩き・・・
本宮前の舞殿。
https://moon358.com/2021/03/24/post-2429/
舞殿を通り過ぎて下宮
https://moon358.com/2021/03/26/post-2455/
そこから階段を上りようやく本宮へ到着です。
1180年(治承4年)源頼朝により由比郷から遷座されたものの、1191年(建久2年)3月4日の鎌倉大火によって焼失してしまいます。
しかし頼朝の手によりすぐ再建され11月21日再度御祭神を勧請。
現在の本宮は1828年(文政11年)、江戸幕府十一将軍徳川家斉により竣工されたものの、関東大震災で倒壊、修造されたものとのことです。
今回令和3年2月に行ったのですがコロナの影響か、狛犬様もマスクをされていました。
朱塗りの隋身門
夜の隋身門も大変美しい(8月のぼんぼり祭りの時のものです)
随身門の両側には随身(武人)像があり、阿吽形になっています。
こちらは向かって右側の吽形の像。
随身門の向かって左側にて、おみくじが売られていました。
この鳩みくじは、鳩のストラップがついていて一番売れているそうです。
絵馬も、こちらで。
また、狛犬様がされていたマスクと同じものが売られていました。
この背後の森には、非常に素晴らしい物語があります。
1964年、この裏山御谷の森に宅地開発の計画が起こりました。
開発が進んだらこの裏山は破壊され、無残なまでに景観が変わってしまいます。
そこで鎌倉在住の大佛次郎や鎌倉の市民たちが土地を守るための運動を展開しました。
大佛次郎と猫: 500匹と暮らした文豪
これが日本で最初の「ナショナルトラスト運動」となり、
この裏山は宅地開発から護られたのでした。
この運動を具体的に説明すると
募金活動を行い、開発対象となっている土地を購入し開発から守るものです。
先人たちがこのようなご苦労をされて護った土地、大切にしたいと心から思いました。
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